こんにちは、春に夜な夜な枕を濡らしたはぐれです。
パンテーンのハッシュタグで胸の内を吐露したらプチバズったので、ここでちゃんと文章にしておこうと思います。なんかおセンチに格好良く書いてますね。ホントはただのゴミ就活生なんですけども。
今日は内定式ですか。私はどうしても就活の雰囲気が息苦しくて、自分を上手く取り繕えなくて、第一志望落ちて、このままドロップアウトになりそうです。これからはせめて自分の力だけで生きれるように頑張りたいですね。同期の皆さん、内定おめでとうございます。 #就活をもっと自由に
— はぐれ@初心者オタブロガー (@hgr_otklife) September 30, 2018
事実、「就活 したくない」「就活 やめたい」「就活 嫌だ」と調べると「そんなことないよ!気分転換してガンバロー!」→就職ナビサイトへの誘導がテンプレで「そういうことじゃね~~~~~~~~~~~~~~よ!!!!!」とキレていました。そんな捻くれた私と同じ立場でいる皆さんに向けて、この半年の軌跡と失敗した理由、これからの展望を書き残します。
3年生まで
遊びほうけた3年間
3年間、何にもしてないダメ学生でした。そこそこ有名な私立大学に入学し、ぽやっと過ごしていました。バイトは通学時間の関係で短期バイトしかやってませんでした。サークルは美術部に入っていましたが、部のノリについていけずに2年生あたりから幽霊に。特にボランティアやインターンをすることもなく、ひたすら学業と趣味にのめりこんでいました。この時点で就活に対して丸腰確定でしたね。そのおかげか、ゼミの評価は悪くなく成績に関しては何の問題もありませんでした。4年の前期に単位は取り切りました。なお卒論は今全ボツ状態です。
(2月28日追記)
卒論通りました。なお評定はギリギリの模様。
志望職種はあったが就活に何となく嫌悪感を抱いていた
このご時世ですから、「働く」ということになんとなくマイナスな感情を持っていました。ネットに溢れるブラックな情報、残業に泣くフォロワーさんのツイート、連日連夜テレビで流れる過労死問題…とにかく、労働問題の喚起に溢れ、閉塞感の漂う時期でした。
それでも当時の私にもやりたい仕事がありました。「校閲」という仕事です。しかし校閲単体の新卒採用はとても少なかったですね。大体は編集者が兼任もしくは経験者の中途採用でした。それでも諦めきれずに編集・校閲関係周辺の企業研究をやっていました。もちろん、校閲の募集を行う会社も調べていました。
しかし、そのやる気を早くも削がれることになります。大学のキャリアセンターの面談です。
「校閲は目指さないほうがいいと思いますよ」
意味が分かりませんでした。何で初対面の人に、この足りない頭で一生懸命考えた希望進路を頭から否定されなければいけないのでしょう。結局この15分間は編集・校閲の仕事を端から否定され続けるだけでした。この時から私はキャリアセンターを一切利用しなくなりましたね。それでも、校閲の企業研究は続けました。印刷会社に勤めていた親から「中小企業なら他職種と兼業できるじゃない?」とアドバイスを貰ったので、中小の印刷会社に焦点を当ててサーチを続けました。
4年生3月
とりあえずナビサイトに登録 説明会・ESからとにかくモヤモヤしていた
とりあえず某大手ナビサイト3社に登録しました。この時点で大分やる気がなかったのでエントリーは10社くらいでしたね。少ないです。分かってます。説明会も結局合計5社くらいしか行きませんでした。
さて、既に第一希望の企業は決まっていましたが、ここで大問題が起きます。19年卒は校閲を募集していなかったのです。嘘やん…そりゃそうです。だって18年卒向けの情報を見ていたのですから。アホですね。アホです。それでもその会社の業務と社風に惹かれ、別の職種で本エントリーをしました。もうこの時点で校閲は諦めていたので、他の職種希望で2~3社ほど本エントリーをしました。
4年生4月
初めての一次面接 集団面接でガッチガチ大敗北
数社にエントリシートを提出し、第一希望のエントリシートが通った時は舞い上がるほど喜びました。自分だけで作り上げたエントリシートがまさか通過するなんて思ってもみなかったからです。まあ…エントリシートを誰の助けも借りずに作ったということはつまり面接の対策も一人でやっていました。アホですね。もう東京湾に沈めって話です。
何度も読み返してエントリシートの内容をしっかり頭に叩き込んでいましたが案の定大敗北でした。印象を残さなければ!とトリッキーに自己紹介したら面接官に失笑されました。その瞬間、頭の中の情報が全部ゴミ箱にシュウウウウウウ!超!エキサイティング!されました。もうそこから記憶はありません。その夜は一人で枕を濡らしました。全部、全部自分のせいなのにね。
4年生5月
2社目の一次面接通過 少しだけ自信がついてESや説明会参加を頑張る
この頃はまだ精気がありました。次に受けた企業のエントリシートと一次面接を通過したのです。前回の反省を糧に色々と見直し、修正点を洗い出したら1か月前の自分とは別人のように話が出来たのです。面接官の皆さんも真摯に耳を傾けてくれました。この頃が一番就活が楽しかったですね。その勢いで同業他社の説明会にも精力的に参加しました。まあ数はお察しですけど。色々な就活本を読み漁り、情報を手に入れて、頑張りました。
4年生6月
2社目・3社目の面接に大敗北 モチベーションは地へ落ちる
第一希望の2次面接は最終面接だったのですが、すごく上手くいったんです。社長さんからも「君のような心構えを持った子が来てくれると嬉しい」とまで言われました。もう勝ちフラグと確信しましたよ。もう帰ってから笑顔笑顔笑顔。もう御社!君に決めた!ってレベルでした。その勢いで第二希望の企業の一次面談にも赴きました。「面談は企業との相性重視!」なので取り繕わらずに自然体でお話しました。
しかし、そんなイケイケな就活もここまででした。第一希望の会社から速達が届きました。分厚かったです。合格した人が貰う封筒がどのくらいの厚さなのか知りませんが、勝利を確信しました。約束された勝利の封筒だと思っていました。
それは紙クズとなった私の今までの努力でした。
これまで提出したエントリシート、成績証明書、使った封筒が提出に使ったクリアファイルにそっくりそのまま入っており、一番上にお祈りの文書がありました。兄弟と見たのでその時は「あらら~w落ちちゃったよ!」なんて強気に笑っていましたが、その夜は枕に顔を押し付けて泣き腫らしました。今でもあの瞬間を思い出すと涙が出てきます。
その数日後、第二志望の合否が決まりました。お祈りメールでした。説明会では面談ではほとんど落とすことはない。次の面接からが本番!と言われていたので私は放心状態でした。これが、確かに私のやる気スイッチのコードを断ち切ったのです。
4年生7月
少しだけ説明会を追加するも完全に戦意喪失
基本的にやる気はなかったので、そこからの失速は早かったです。それでもこの後も少しは説明会に参加しました。しかしどの企業も印刷業界は斜陽産業であると言われ、もうこの業界に希望がありませんでした。もう他の業界を研究したり、志望動機を考える元気はありませんでした。そりゃそうです。そもそもやる気ゼロからやっと絞り出したのが印刷・出版業界だったのですから。
結局、そのままズルズルとやり続けると卒論に影響が出るので、7月半ばには就活関係の道具は全てクローゼットに仕舞いました。大学の友人は全員内定を取りましたね。ちなみにこの頃に『ミニマリズム』に出会い、しょぼい人生観が変わりました。
4年生8月から今まで
就活を停止
8月からもう何もやっていません。大学に進路届も出してませんし、ナビサイトからのDMも読まずに食べました捨てました。親は安定した正社員になってほしそうですが、両親とも仕事についていろいろとあった身なので強く言えないようです。夏休みは卒論に全てつぎ込みましたが、ゴーイングマイウェイしすぎて全ボツです。リクルートスーツは家の隅っこで埃を被っています。ごめんね。使いこなせなくて本当にごめんね。
就活に失敗した理由
金太郎飴のような就活生に埋もれるのを拒否した
私は高校生の頃からあの黒髪黒スーツパンプスの就活生ルックが嫌いでした。数年後に自分もああなると考えるのすら嫌でした。よく聞く「個性がなくなるから!」とかいう理由じゃないです。中身なんてないので。
それでも歴史の勉強がやりたくて大学に行きました。受験生の頃は大卒という肩書きも当時は絶対に手に入れないと!と思っていました。今思うと高卒で就職して地元に就職した方がよっぽど良かったんじゃないかと後悔しています。でも大学生になって趣味の世界を広げられたので全てを否定はできません。
ネットの情報を鵜呑みにした
正攻法が嫌いだったんですね。遅く発症した中二病かよって感じです。その辺の就活本も読みましたが全部が綺麗事や紛い物に見えて吐き気がしそうでした。そのためにもっぱらネットの情報を漁っていました。いわゆる就活ブログですね。やっぱそういうブログってトリッキーなんですよ。読んでて奇抜な情報があって、「こんな考え方もあるんだ!」って感動してました。その記事を書いた人が本当のことを言ってるのかも知らないくせにね。
インターン・OB訪問・面接の練習をしなかった
アホですね~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!アホの境地ですよ。これは完全に自分の性格の悪さです。自分で言うのもなんですが、私はまあそれなりに器用に生きてきました。グループ学習の班長や実行委員、部活の部長とかをめちゃくちゃやってたので、ぶっちゃけ、人の力を借りなくてもなんとなく出来る子だったんですね。 ただの幻覚でしたけど。
そのせいで人の力を借りる・他人からアドバイスを受けるのが死ぬほど嫌いだったんです。ガキですね。全部自分の力でやったる!と突き進んでみた結果がこれです。こういうのって多分バイトとかサークルで身に付けるはずだったんでしょうけど、まあやってませんでしたから。みんなやっとけよ。
そもそもエントリー数がゴミだった
救えねえ。救えねえよもう。自業自得も甚だしいよ。そりゃそうです。だってやる気がなかったんですから。10社も20社も受ける人の気が知れませんでした。なので数打ちゃ当たる作戦ではなく本当に行きたい企業だけに絞って頑張っていたんです。そうでもしないと志望動機なんてスイスイ出てこないし時間と体力は奪われるしで合理的じゃないな!って思ってました。そもそも就活そのものが合ってなかったんですけどね。
自分を上手く取り繕えなかった
これは一番の敗因だと思います。だってこんなんでも最終面接までいきましたからね。「面接は騙し合い」なんてよく聞きますが、私はそれが出来ませんでした。「その辺の就活生と違って自分に嘘がつけない正直者!」だとか驕ってるわけではありません。私はこんな何もない自分の良い所を探すことも、それをちょっと良く加工してアピールすることも出来ませんでした。最終面接の私の言葉は、熱がなかったんだと思います。確かに自分の言葉で話しましたが、そこに魂がなかったんだと思います。薄っぺらで、つまんねえことを言っていたのでしょう。内容は嘘ではないけど、嘘のような話になってしまったんですね。
これからの展望
さて、ここまでつらつら書き連ねてきました。この文章を読んで「なんだこのクソみてえな就活生は!?」と思った社会人・同期の皆さん、おっしゃる通りです。「これは怖いなあ…やだなあ…」と思った2020年以降卒の皆さん、こうならないように頑張ってください。「わかるわ…」と思った同志の方、ちょっとヤバいですよ(特大ブーメラン)。
もう内定式も逃しました。まだ時間はありますし、「諦めんなよ!」と思っている方もいらっしゃると思いますが(リプで頂きました。ありがとうございます)、多分もう就活はやらないと思います。進路届もフリーターやらで通すと思います。友人には…卒業後に言えばいいかなって思います。多分もう気づいてると思いますけど。
今後の計画としては、自分の生活コストを下げて、フリーターでも生きていけるような生活を整えたいです。ライトなミニマリストになれたらなって思い、少しずつ準備をしています。親の脛を齧るわけにも行きませんし、自立もしたいので(無い内定の分際で)、このまま駄目だったら家を出ます。その心の支えにするためにブログを始めました。将来的にはブログを収入源の一部にしたいですが、まだまだ理想論です。
来年の4月、正社員になっているか、フリーターになっているか、ネットビジネスに参入しているかは、来年の私に尋ねたいと思います。
(追記)後日譚の記事を書いています
(追記ここまで)
ここまで読んでくれてありがとうございました!